【CLOSE YOUR EYES 航空自衛隊 松島基地 隊員激励ライブ 】
あの震災から早5ヶ月が過ぎました。
自分も何度か、被災地に入り、災害支援応援をしてきました。4月に入った時は、
まだまだ震災の傷跡が深く残り、それは言葉に言い尽くせない状況でした。
その後、6月にも津波被害の大きかった大槌町にも行きました。
そんな中、自衛隊の皆さん、各都道府県の警察、消防の皆さん、ボランティアの皆さん
そして一歩一歩前に踏み出そうとしている地元の皆さん、色んな人々が必死に頑張って
いました。
日頃、自衛隊の皆さんは心無い人々から「税金泥棒」「殺人兵器」などと言われ、さぞ
悔しい思いをしていたと思います。
自衛隊を創設した元首相「吉田茂」も、こんな言葉を残しています。
(昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わる
かもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて
国家存亡の時とか、災害派遣の時とか国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」
吉田茂もうまく言ったもんです。確かにその通りかもしれません。
でも今だけでもいい。これだけは言いたい。
自衛隊の皆さん、ありがとう!
最後にtwitterで紹介された自衛隊の皆さんの言葉を紹介します。
「被災地で炊き出しをした際、たとえ余っても、自衛隊員は絶対食べないで缶詰の
冷たいご飯を食べます。被災地の人用にお風呂を用意しても自衛隊員は入りません。
そして出来るすべての事をやったらひっそりと帰る。それが自衛隊です。」
旦那さんが自衛官の友人より。以前息子さんが「パパは戦争がお仕事?」と涙ながら
聞いてきた事があったそうだ。誰かの心ない言葉に傷付いたんだろう。
今、息子さんは毎日TV画面に向かい「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。
「僕も自衛隊になる!」って。…通勤中に号泣。
ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」と返事が。
彼らはタフだ。肉体も、精神も。
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